仰山俯水 (ぎょうざんふすい)

 我が郷土泰阜の山並みは険しく、渓谷は深い。私たちは、日々この山並みを仰ぎ、清らかな流れを眺めつつ、美しく厳しい自然を心の支えとして生きている。
 来るべき未来社会に向けて、広くあらゆる世界の人々と手をつなぎ、共に生きようとする私たちは、急峻な山稜を仰いで高い志をもち、渓谷の清流を俯して見つつ常に自己を振り返り、心優しく、大きな可能性を求めてたくましく前進しなければならない。
 江戸時代の儒学者佐藤一斎先生は、その著「言志後録」に「仰観山、俯見水」の詩を記し、「一俯一仰、教に非ざる莫きなり」と結んでいる。
 故郷を愛し故郷から学び、高い志をもって、己を深く省みつつ、相和して明るく共に学ぼうとする、この「仰山俯水」の心こそ、私たち泰阜中学校の建学の精神である。

建学の精神「仰山俯水」
 言志四録(二) 言志後録より
 佐藤一斎著 川上正光全訳注 (講談社学術文庫)

 一五五 山水の景観
仰観山 厚重不遷 俯見水 汪洋無極
仰観山 春秋変化 俯見水 昼夜流注
仰観山 吐雲呑煙 俯見水 遠疏其源
山水無心 以人為心 一俯一仰 其非教也

仰いで山を観ると 厚く重くどっしりとしていて動かない 俯して水を見れば 広々としてはてしがない 
仰いで山を観れば 春と秋と季節の変化によって眺めも変り俯して水を見れば 昼夜の別なく注ぎ流れている
仰ぎて山を観れば  雲を吐き煙を呑み
俯して水を見れば 大波小波を起こしている
仰ぎて山を観れば 巍然として空高く聳え
俯して水を見れば 遠く源まで疏通している
山も水も無心のものであるが
見る人の心によって様々な意味が生じて来る
一俯して水を見 一仰して山を観る
皆我々にとって貴い教えである